【インタビュー】自由な旅人から家具の作り手へ

【インタビュー】自由な旅人から家具の作り手へ

柔らかな日差しが落ちる工房に佇む男性は関口隆志さん。職業、家具職人。

かつては「普通の人生」を嫌って世界を放浪し、人との馴れ合いを遠ざけた日々もありました。

そんな関口さんが家具づくりを通して得た人とのつながりとは。

 

世界をさすらう青年、家具職人になる

木材や工具が所狭しと並べられた工房。奥には修理途中のテーブルが静かに完成を待っていました。

「俺、大学の頃からお金貯めて外国ばかり行ってたんですよ。でも28歳ぐらいの時に、そろそろやばいなあって(笑)」と語る関口さん。日本に帰ったらサラリーマンになるー。父親とそう約束したものの、「普通の会社員にはなりたくない」と選んだのは家具職人の道。

その後、家具作りを一から学ぶため塩釜市の木工所で修業し、数年後に独立。お世話になった親方から紹介され山元町の工房に移ったのは、2007年のことでした。それまでは趣味のサーフィンのために自宅のある名取市から通っていた山元町が、新しい仕事の拠点になったのです。

 

震災をきっかけに引き受けた「修理」と、訪れた変化

工房を持ち4年目を迎えた頃、東日本大震災が起こります。幸い、工房も自宅も無事でしたが、自宅のある名取市の消防団員として沿岸部の救助活動を行った関口さんは、あまりの悲惨な光景に言葉を失いました。

また、作品を出展していた「家具職人展」は中止となり、仕事にも影響が出ます。震災前は「職人の友達はいらない」と馴れ合うことを嫌っていた関口さんでしたが、他の職人たちと展示会を開き、周りの人たちの前向きな姿勢に「自分も頑張らなくては」と元気をもらいます。

そしてこれを機に、震災で壊れた家具の修理依頼がたくさん舞い込んでくるようになりました。実は、家具の修理は引き受け手の少ない仕事。一度解体したり、継ぎ足したりといった作業は新品を作るよりも手間がかかるため、敬遠されがちです。しかし関口さんは微笑みながら言います。

「面白いんですよ修理が。(修理した家具を)持っていくと、みんなびっくりするんで」。

相手の喜んだ顔が見たいー。手間と時間のかかる作業を請負い続けたのは、家具の修理を通して震災で落ち込んだ人たちを元気づけたいという気持ちの現れだったのかもしれません。この経験を決して忘れないように、「つながり大切」、木材が収められた棚に、関口さんは震災の日付と共にそう書き残しました。

 

家具作りを通して人とつながる

波に乗るのが大好きな関口さん。今も、工房からすぐの海へサーフィンに行って疲れてしまい、仕事を切り上げて自宅に帰ることもあるそうです。しかし、職人としての強い自負と責任感はきちんと持っています。期限が厳しい中で指先を怪我をしたときには、仕事を早く進めたいあまりに、爪切りで切り離せないかと考えたほど。

「俺よりうまい人はいっぱい居ますから。自分で『家具職人』って言ってますけど、『家具作る人』でいいくらいですよ」。

はにかみながらそう語りますが、目標は、究極に軽く強度もあるイタリアの名作家具“スーパーレジェーラ”のような椅子を作ること。また、木工教室でお客さんと一緒に家具を作る活動を広げていくのも、一つの夢です。

「DIYよりももっとランクが上の木材を使ったら、絶対もっといい家具ができますから」。

家具の完成が近づくにつれてワクワクしてくると語る関口さん。より多くの人と、この楽しみを共有したいと考えているのかもしれません。30歳を過ぎて職を見つけ、軌道にのってきたところで起きた震災。

関口さんのこれまでの人生は順調だったとは言えないかもしれません。しかし、その佇まいが海のように深く広く感じられるのは、迷いながらも努力し、前を向いて乗り越えてきた証。木が長い時間をかけて節を作り幹を太くしていくように、関口さんもこの山元町で日々成長し、人びととのつながりをさらに強く、深いものにしようとしています。

 

<店舗情報>

住所/亘理郡山元町高瀬字東石山原82-147

電話/090-7326-8237

営業時間/12:00〜18:00

定休日/不定休

WEB/http://shikata-style.com/

 

<取材担当者>

ライター 伏島恵美

写真 田中渚

編集 飯島久美子

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